ひきこもり猫

段ボールの中が好き。

私はモンスターだった

今日、おかしな夢を見ました。ある出来事がきっかけで父親と大喧嘩している夢だったのですが、私はただひたすらに自己弁護し、自分がいかに大変か、みたいな言い訳じみた主張をさも正論かのようにまくしたてているという夢でした。夢の中でまくしたてながらも、冷静な自分がいて、あぁモンスターなのは私の方だなぁと思いました。父親が言っていることは普通のことで、私がモンスターのようにわめいているのです。おかしなこと言ってるな私・・と冷静な自分が、夢の中の自分を見て呟きました。

 

目が覚めて、あぁ私ってこういう人間だった、現実でもこういう人間だった、と冷静な自分が思っていました。自分が思っている自分と、外から見た時の自分がけっこう剥離していたんです。

 

私の目は曇っていて、その曇りにさえ気づかず、前が見えない、よく見えないと喚いて、ひとりで怒り狂っていました。

曇っているのは私の目です。私が曇りをみがけばいいのです。

 

すべては私の反応の問題で、家族や他人の何気ない一言に傷つき、怒り狂い、恨んだりしていました。うわ、最悪な人じゃん、って思います。

そんな人周りにいたら、私だって関わりたくないです。

 

怒りを相手に対して表すということはなかったのですが、いちいち自分の感情に引きずりまわされているのが嫌でした。いちいちこんな気持ちになるくらいなら、何も感じなければいいのにと呪文のように言い聞かせました。

 

自分の心の奥底には、被害者意識があるんだと思います。そして、周囲の人たちの言葉や態度に対する受け取り方が歪んでいます。

いつも責められている気分、24時間否定されている気分。そして、ネガティブ。どうしようもない・・。

 

だけどね、私を責めているのは他でもない私だったんですね。私が私を責めてるから、周りの人たちからも責められているように感じていたんです。周りの人たちの言葉が、態度が、自分を責めているように感じていたんです。

 

なんか最近、自分の姿が見えてきて、うわぁ私ってこんな人間だったんだ・・とショックを受けています。私は被害者意識の強い加害者だったのか!と。まるでモンスター!と。

 

すべては私の感じ方の問題です。私の反応です。

今はもう優しくなりたいなんて思いもしませんが、成長したいと思っています。

優しくなるのに疲れたのは、無理をしていたし、優しいフリをしていたからだよね。フリはフリであって、私の中に優しい気持ちなんてなかったんだから、義務感だったり、無理をして犠牲になっているという恨みつらみが募るだけでした。私はこんなに我慢しているのに・・とか、我慢が足りないのだろうか、とか、いつまで我慢すればいいんだ、とか。

気にするのはいつも周りの顔色だったし、「あなたはどう思う?」って聞かれても、自分の気持ちではなく、相手の求めている言葉を探すのに必死でした。だけど、こういう時って、思っていることを言ってもいいのかな?もちろん、失礼なことは言わないですけど、思ってることを言ったらいけない気がしていたんですよね。例えば、「楽しい」とか「嬉しい」とか、そんな言葉も言えませんでした。こんな人間といても退屈ですよね。友達もひとりしかいません。

 

人のせいにするのは最低の行為だと思っていたのに、気が付けば、そのような人間に成り下がっていました。私がこうなったのは親のせい!的な。

だけど、今はもうそんな風には思いません。両親のせいではなく、私が誤解しただけです。

 

心の中では暴言を吐いている時もあるのに、ある人たちは「あなたは優しい子だね」と言ってくれたり、親戚の間では親孝行のいい子みたいに言われていました。今までは、「あなたはいい子だね」って言われると、怒りがわいていました。本当は違うのに、何も知らないくせにって思っていたんですよね。良い子、優しい子、親孝行、こんな言葉が重荷でした。たぶん、無理をしていたからです。外から見えるいい子を装っていただけの、はりぼてだったからです。優しいね、いい子、お母さんを助けてあげて、と言われると、今でも十分やってるのにこれ以上犠牲にならなきゃいけないのか、という気持ちがあったんですね。うぬぬぬぬ。私、全然いい子じゃないですが、良い子でいる必要もないと思っています。だからもういい子のフリは終わりです。(傍若無人になるという意味ではありません。)

 

ただ今は自分と向き合う時期かもしれません。今までずっと、一番避けていたのは自分自身だったなと。一番避けていたのは、人付き合いなんかじゃない、自分自身なんだって思います。煩わしいと思っていたのは目の前の人間ではなく、自分の心の反応でした。今から、この反応を変えていくために、努力します。

今日一日のぐだぐだ日記

最近、体がしんどいです。睡眠時間が足りていないせいなのか、生活リズムが狂っているせいなのか、年齢が年齢なので体力の曲がり角なのか、毎日が気だるくて体が重いです。やる気も出ません。どうしたものかな。

 

今日は仕事が終わった後に、洗濯物を畳んで、テーブルの上を拭いたりして、キッチンをピカピカにしたりして、夕飯を作りました。こういうの、家事のひとつひとつ、整理整頓、掃除、面倒くさくて出来ればやりたくないのですが、やり終わった後の綺麗なキッチン、綺麗なリビングを見ると、気分がすっきりして体が軽くなります。だから、掃除は毎日やった方がいいんだけど、3日に1回が限界です。毎日、掃除機をかけられません。体力が持ちません。

 

今日の夕飯は、サバの竜田揚げと味噌汁とサラダ(キャベツを千切りしただけです)。サバの竜田揚げは久しぶりに作ったのですが、さくさくして美味しくて上手に作れた気がします。そんなこんなで、夕飯を食べた後はイオンに買い物に。

 

生活用品を買った後に、こたつを観ました。イオンに行くと、いつもこたつコーナーを観ます。ひとり用のこたつが欲しくて、欲しくて、でも買えなくて、いつも眺めているだけ。最近は心の潤いが足りなかったので、ヴィセのカラーポリッシュリップスティックを買いました。PK821、一番気に入った色。

 

私は貧乏なので、普段はリップとちふれの300円くらいの口紅をうす付けにしています。それか、グロスを使う時もありますが、どれも低価格の物を使っています。以前は、ティントを使っていました。これは落ちにくいしお気に入りだったのですが、トイレに落っことしてしまいました。涙

 

低価格のものだと、唇がかさかさに乾燥しちゃうのですが、以前使っていたティントは大丈夫でした。。ちふれも大丈夫ですが、他のグロスや口紅は唇が荒れてしまいます。ヴィセはどうだろう。明日から使うのが楽しみです。けっこう明るい色なんだ。紫ピンクっぽい感じ。

 

さてさて、最近は我が家の猫ちゃんが、ぷくぷく太ってきました。いつも夏はガリガリに痩せて、冬になるとぷっくり太ります。夏は暑さにやられて、食欲が落ちるんですね。今年の夏も全然食べなくて、心配でした。。今は、食欲回復中です。

 

そういえば、本屋さんで悩みに悩んだ末に、漫画を2冊買いました。貧乏でも、漫画にはお金を惜しみません。

南Q太郎さんの「グッドナイト」という漫画と、「フルーツバスケット」のどちらを買うか悩んだんですね。「フルーツバスケット」は、昔mixiでメールをしていた人が大好きな作品、と言っていて、すごく良い漫画なんだよ~はとりっていうキャラが好きだよって言っていたので、ずっと気になっていたんですよね。それで、本屋さんで分厚いバージョンが出ていたので、読みたくなったんです。

どっちを買うかなぁと悩みに悩んだのですが、「グッドナイト」の方を買いました。それで、家に帰ってグリーンスムージー(元気を出すために買った。けっこう美味しかった)を飲みながら読んでみたんですけどね。ちょっと、精神に応えますね。今ちょっと元気がないせいもあるかもしれません。

 

結婚した女の人が、姑にいびられる話。っていう単純な感じでもなくて、家族がみんなめんどくせぇよ、と言いたくなる漫画でした。感想文がへたなので、こんな説明しかできません。すいません。

この漫画の中のような結婚生活がリアルにあったとするなら、とても恐ろしいです。すごく歪な家族の形に見えたし、旦那もっと確りしなよ・・と言いたくもなりますが、いろいろ抑圧されて育っていそうです。でも、よくよく考えてみたら、歪な家族関係なんてありふれているのかもしれません。私の家だって歪な部分があるかもしれませんしね。

 

もしも、自分が生んだ娘を義姉に養子として奪われたら?っていうストーリーなんだけど、主人公は相当辛いだろうなと思います。旦那は旦那で頼りなくて、もっと頑張れ、なんでそんなに無気力なんだ?って言いたくなるし、主人公はもっと抗ってもよかったのでは?(本当に抗うべきは旦那の方でした)と思ってしまいましたが、(っていうか何でそんな旦那と一緒にいるんだ。なぞすぎる)姑が理解の範疇をこえる人間だし、追い詰められてしまったのでしょうね。

もし自分だったら、暴れまくって、暴力をふるって嫁ぎ先を飛び出して、実家に帰ります。それか、警察に通報します。(通報しても意味はなさそう)だけど、主人公の母親は守ってもくれなかった。。主人公の無念がすさまじすぎて、どんよりしてしまいました。終わり。

 

 

 

 

 

本のはなしと薩摩芋の甘露煮。

今週のお題「人生に影響を与えた1冊」

 

小さい頃、本を読むのが大好きでした。大好きというか、それしか楽しみがないといった状況で、母もよく絵本を買い与えてくれたので、沢山読んでいた気がします。小さい頃は、母親が専業主婦だったのとエホバの証人という宗教の信者だったのとで、保育園や幼稚園には通わず、毎日のように母と布教活動に出かけていた記憶があります。遊び相手と言えば、同じ宗教の子どもたち。当時は、唯一心が自由になれる時間・楽しいと思える時間が絵本を読んでる時でした。本を読んでる時間が一番幸せでした。小学生の頃も、セーラームーンキューティハニーといったアニメは禁止されていましたから、唯一の娯楽でもあったのですよね。

 

小学生に上がってからは、イギリス作家の本が大好きで読んでいました。中でも一番好きだったのがロアルド・ダール

ロアルド・ダールの本なら、何でも読みました。「おばけ桃が行く」に始まって、「チョコレート工場の秘密」「オ・ヤサシ巨人BFG」「ガラスの大エレベーター」「魔女がいっぱい」「ぼくのつくった魔法のくすり」「こちらゆかいな窓ふき会社」「魔法のゆび」「いじわる夫婦が消えちゃった!」「マチルダは小さな大天才」もう最高でした。

 

私は中学生くらいから神経症で集中困難になり、本が読めなくなってしまったのですが、途切れ途切れになりつつも本が読みたいと思い続けたのは、小学生の頃に読んだロアルド・ダールの本があまりにも楽しかったからだと思います。

だから、人生に影響を与えた一冊とは少し違うかもしれませんが、本を読むことの楽しさを教えてくれた一冊は間違いなくロアルド・ダールで、中でも一番好きなのが「マチルダは小さな大天才」。

 

当時は、ロアルド・ダールの本を図書室で探しては、家に帰って一日中本を読むという生活でした。それだけが、唯一の楽しみでしたからね。

 

 

ふぅ。小さいころから本を読んできたはずなのに、私はどうも本の読み方がへたくそです。本の読み方にうまいもへたくそもあるの?と言われそうですが、へたなものはへたなのです。

 

だから、本が読めるようになりたい・・と思いながら、今も読んでいます。何と説明したらいいのかわからないのですが、私は神経症のような性格で、何度も同じ箇所を読み続けたり、次の箇所を読むのが恐ろしくて読み進められない時があるんですね。家を出る前に何度もコンセントを確認したり、何度も手を洗うのをやめられなかったりするのに似ています。変に思われてしまうかもしれませんが、真剣な悩みです。

 

話がズレてしまいましたが、本を読むことの楽しさを教えてくれたロアルド・ダールの「マチルダは小さな大天才」が、小学生のころ一番影響を与えてくれた本だと思います。

 

 

ところで話が飛びますが、今日はじめて薩摩芋の甘露煮を作ったんです。(盛大に話が飛んだ!)

 

すごく甘くておいしくて、意外とご飯に会うことにびっくりしました。だって、甘いのに。そういえば、芋ご飯とか、栗ご飯とかありますもんねー。甘くても合うし美味しい!

秋らしい食べ物が好きだから、なんか料理が楽しいですねぇ。